スズキ目サバ科カツオ属
鰹、Skipjack tuna、bonito
生息域:世界中の温帯から熱帯海域
旬時期:6月~8月
調理法:たたき、刺身、かつお節

カツオ

基本情報

「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」と歌われたように、野山が新緑に染まり、ほととぎすが鳴く季節、江戸っ子たちは競って初ガツオを求めた。初ガツオは、さわやかな初夏を彩る風物詩であった。古くは大和朝廷に献上されてきたカツオは、日本の食文化と切っても切り離せない魚である。春から秋、黒潮に乗って日本列島沿岸を回遊するカツオを求めて漁船は漁に出る。北上する初ガツオは江戸時代、江戸っ子たちに熱狂的に愛された。

名前の由来

「鰹」のほか、「堅魚」、「堅木魚」、「松魚」などとも表記される。頭の形から「烏帽子魚」と呼ばれることもある。身質が柔らかく傷みやすいため、生食されるようになったのは鎌倉時代以降で、それまでは堅く干したものを食用としていた。そこから「カタウオ(堅魚)」と呼ばれるようになり、「カツオ(鰹)」と呼ばれるようになった。異説に、殺生を禁じられた平安時代の仏僧が、干しカツオを木片としたことから「堅魚(かたうお)」と呼ばれるようになったなどがある。

特徴

表面水温24度以上の暖かい海で産卵する。1回の産卵で直径1mm程度の卵を10万~200万粒産むが、成魚になるのは1%未満である。卵は海水より比重が小さく、海面に分布する浮性卵である。体長約40cmのカツオなら10万粒、体長75cmのカツオなら200万粒が1回の出産で産み出される。卵の直径は約1mmで、2日程度で孵化する。稚魚は、頭が大きく吻(ふん)と呼ばれる口の付近が長く突き出しており、口裂が大きく体長の4分の1ほどもある。幼魚は小さなイカ類や甲殻類を捕食するが、成長するとイワシ類を食べるようになる。そのイワシを追って、太平洋・大西洋・インド洋など熱帯から温帯を大群れで回遊する。日本近海、世界中の熱帯・温帯海域に分布する。回遊魚であり、早春から晩秋にかけてい本列島近海を回遊する。日本近海に近づく回遊ルートは2種類あり、ひとつは黒潮に乗って北上するルートで、フィリピン、台湾、南西諸島を経て日本列島の太平洋岸に現れる。2月中旬に九州南部、3月中旬に四国沖、4月に紀伊半島、5月に伊豆・房総沖と北上を続け、7~8月には三陸沖まで北上し、進み、9月に北海道南部に達して水温が低下すると、再び南下していく。もうひとつは、小笠原海流に乗って北上するルートで、ミクロネシア近辺から小笠原海流に乗り、小笠原諸島から伊豆諸島、関東沖、三陸沖に向かい、水温が低下すると南下するものである。生後1年で15cm前後、4年目で50cm前後、成魚は1m前後に成長する。漁獲が多いのは全長50cm前後のものである。体型は典型的な紡錘形で丸みが強い。背部は暗青色、腹部は銀白色。水揚げ後のカツオの腹側には縞模様が走っているが、海中にいる時にはなく、釣り上げられた後に浮き出てくる。最高時速50kmのスピードで回遊する。カツオは一生休まず泳ぎ続けるが、これは鰓蓋が動かないので、泳ぎながら海水を鰓孔に流入させて酸素を取り込んでいるためである。止まると窒息死する。

カツオの群れの種類は以下に分類される。

・素群
カツオだけで他の随伴物のない群れ。

・鳥付
エサを横取りしようと海鳥が上を舞っている群れ。漁船がカツオ群の存在を知る手がかりとなる。海鳥の種類はハワイ水域では、オナガミズナギドリ・セグロアジサシ・クロアジサシで、陸地に近くなるとカツオドリ・グンカンドリが多い。

・鮫付・鯨付
ジンベイザメと一緒に泳いでいる群を鮫付、クジラと行動をともにしているのを鯨付という。

・木付
流木などの漂流物の下にいる群れを木付という。この習性を利用して、パヤオという人工の漂流物を流し、それにつくカツオを漁獲する漁法がある。

・瀬付
海潮流がよく、水温が高く、天然のエサが豊富な離島や礁(海面付近、あるいは水深20mより浅い岩石または珊瑚礁)の周りに、一年中にわたって生息する。日本近海では、南西諸島・豆南・小笠原諸島の周りに見ることができます。

食材情報

春から初夏にかけて列島沿岸を北上するところを漁獲される初物のカツオは、初ガツオと呼ばれ珍重される。鮮烈な血の匂いを含む酸味は、初夏の味覚としてもてはやされ、江戸っ子たちは初ガツオに熱狂し、「女房を質に入れても食べたい」とされた。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という山口素堂の俳句が有名。1812年には歌舞伎役者 中村歌右衛門が1本3両で購入したという記録がある。

南下するカツオは「戻り鰹」と呼ばれ、産卵準備のため脂がたっぷりと乗り、初ガツオの10倍ほどの脂肪を持ち、トロガツオともいわれ、秋の味覚として人気が高い。以前には初ガツオと比べて安価に取引されていたが、近年では、初ガツオを凌ぐ人気となっている。

初ガツオの旨みは、鮮烈な赤身と血の匂いを含んだ酸味にある。戻り鰹は、マグロの中トロにも似た脂の乗りと身肉の旨さにある。戦後の食生活と嗜好の変化に伴って、初ガツオとは別もの旨さとして、戻りガツオの人気が高まっている。春のカツオは、腹側の皮が薄く柔らかなので銀皮造りにすると美味。秋のカツオは脂が乗るので、平造りにされることが多い。ちなみに江戸時代、カツオの刺身は辛子醤油で食べられていたが、現代ではショウガやにんにくで食べることが多い。

2月上旬頃、種子島から屋久島あたりに回遊してきたカツオが空輸便で築地に入荷してくる。しかし、この時期のカツオは、魚体は良いが身は真っ赤で脂がない。3月に入ると、鹿児島から土佐沖を通過し、紀州沖まで達する。この時期になると、市場に大量にカツオが出回る。いわゆる初ガツオとなる。初鰹は戻り鰹よりもはるかに高値がつくため、宮崎県日南、高知県室戸、土佐などから出荷されてくる。4月になると、三浦半島沖から房総沖にかけてカツオ漁が最盛期を迎える。9月に入るとカツオの群れは三陸沖に達し、産卵準備のために猛烈な食欲を発揮し始める。餌の鰯を追って、Uターンして南下を始める。気仙沼、石巻、塩釜、小名浜、銚子、勝浦、房総沖を経て、太平洋上へと回遊していく。秋口に島根県浜田沖から隠岐、壱岐にかけて大量に漁獲される巻き網漁の鰹は、脂が乗って、同時期の気仙沼産のものと変わらない。この頃、日本海でメジマグロやブリ漁で水揚げされる中に、霜降り状に脂の乗った鰹が混じることがある。これを「迷いカツオ」という。本来は太平洋を回遊しているカツオが、日本海側に迷いこんだもので、常時冷たい日本海を泳いでいるために身が引き締まり、脂の乗りも香りも素晴らしい味わいを持つ。カツオの旬は夏から秋だが、迷いガツオは冬の間、富山県氷見、鳥取、山口県仙崎などで、メジマグロなどに混じってまれに水揚げされる。数は少ないが、カツオ好きの垂涎の味である。5~6キロの大型サイズで、霜降り状に乗った脂は、芳醇な甘みと香りを持っている。

迷い鰹

養老律令(718年)に堅魚煎汁(カタウオイロリ)というカツオ加工品が登場する。これが今日のカツオ節の原形とされる。大和朝廷は国々にカツオ浦(カツオを水揚げする湾)を定め、干しカツオと煎汁を献納させた。延宝2年(1674年)、紀州印南浦(現・和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が、それまでの天日による乾燥から、藁や薪によって煙と火熱を加え水分を除去する「燻乾法」を考案し、これが現在のカツオ節の原型になったとされる。身を煮熟・焙乾して乾燥させたものを「荒節」、これに黴つけをしたものを枯れ節、本枯れ節と呼ぶ。4回以上のカビ付けを行った高級品は本枯節と呼ばれる。鹿児島県枕崎のほか、静岡県、三重県、和歌山県、高知県、宮崎県などで生産される。なまり節は、カツオをゆでて干したもの。カツオのせんじは、カツオを茹でた汁を煮詰めたもので、現在でも鹿児島県でつくられている。世界の中で食習慣として一般に鰹節が認知されているのは、モルジブと日本だけであり、モルジブをカツオ節の起源とする説もある。

枕崎、土佐、紀州、伊豆、房総など、カツオ産地では、個性豊かな郷土料理が伝えられている。鰹のたたき(高知県ほか各地。土佐づくりの名もある)、みそこぶり(高知県黒潮町)、てこね寿司(三重県)、酒盗(鹿児島県枕崎、高知県)、すなずりとも呼ばれる腹の部分を焼いたはらもの塩焼き(鹿児島県枕崎)、頭を料理したびんた料理(鹿児島県枕崎)、ちちこ煮(静岡県伊東市。ちちこはカツオの心臓)、にんにくたたき(千葉県)、沖なます(静岡県)、塩カツオ(カツオの内臓を抜き、丸ごと塩漬けし干したもの。伊豆半島では年末年始のお飾りとされる)など。静岡県焼津ではカツオの心臓を「へそ」と呼び、おでんの具とすることもある。内臓を取出す時に腹部を三角形に切り取ったものを、ハラモ(地方によってはハラス)と呼び、塩焼き・干物で食べる。鹿児島県の枕崎・山川・焼津などで加工販売されている。心臓部を唐揚げや煮つけにして食べる地方もある。佐賀カツオ船団の本拠地・黒潮町では、瀬の先端にも刃のあるカツオ包丁を使ってカツオをおろす。

歌山すさみ町の「すさみケンケン鰹」は最高級の鰹として評価が高い。ケンケン漁によって漁獲されたカツオで、ケンケン漁は明治末期1908年にハワイから帰国した小野七之助によって伝えられ、和歌山県すさみ町で改良・発達してきた曳き縄漁の一種。船に揚がったその場で一本一本活き締めにし、すぐに氷水につけこんで血抜きをすることで、全身に血が回らないため魚の生臭さがなく、さっぱりとした味になる。氷温を保ったまま港へ持ち帰り出荷する。食感はモチモチとしており、通常はたたきで食べるカツオだが、産地であるすさみ町では、刺身で食べるのが当たり前とされている。

高知県中土佐町の「ぴんぴ」ガツオは、カツオの一本釣り漁400年の伝統を持つ町が、一本釣りで漁獲されたカツオの中でも良質なものだけを厳選し、特別な冷蔵法で保管したもので、本場の味が味わえるとして評判が高い。

宮城県石巻港の金華かつおは、石巻魚市場に水揚げされたもので、まき網、一本釣りで漁獲された新物の内1.8kg以上4.0kg未満で、特に買受人が上級品として判断したもの。生鮮出荷のみ対象として、冷凍品は対象外としている。

枕崎ぶえん鰹は、鹿児島県枕崎市の枕崎市漁業協同組合が開発したカツオ。枕崎市は全国でも有数の漁業基地で、カツオ節の産地としても知られる。ここでは一本釣りした鰹を船上にて活き締めした後、急速冷凍する。弾力性のあるモチモチとした食感、速やかな活き締め処理による生臭さのないさわやかな味が特長。ほかに宮崎県日南市の水産会社2社が、カツオの新ブランド創設に進めている(2015年現在)。八丈島では、2~5月頃にかけて北上してくるカツオを、一匹ずつ曳き縄釣りにより漁獲し、氷を詰めた樽で出荷する。「樽ガツオ(たるがつお)」と呼ばれ、刺身やたたきなどにして良く、市場での評価が高い。通常、カツオは1本入れ、2~4本入れで出荷されるが、樽ガツオは青いバケツに10数本入った状態で流通する。うっすらと脂が乗り、鮮度がよくさわやかな風味を持つ。

カツオのたんぱく質量は魚の中でもトップクラスで、マグロの赤身に匹敵する。身肉はタウリンを豊富に含有し、血合部分にはビタミンやミネラルを、筋肉中に筋肉色素ミオグロビンを多く含んでいる。鉄や銅、亜鉛、マグネシウムなどのミネラル、ビタミンB1、B2、B6、B12、ナイアシンなどのビタミンB群も豊富。ヒスチジンが多いため、古いものはヒスタミンに変わり、アレルギーを起こすことがある。

鮮度が落ちてくるとえらの朱色が黒ずみ、ぬめりが出てくる。また長時間放置されたカツオは、色素の中に含まれる鉄分が酸化し、褐色になる。えらの朱色、身色が鮮やかなものを選ぶ。縞模様が濃くはっきりしているものよりも、薄いものが良い。しかし外見が良くても、切ってみると脂と旨みのまったくないもの、渋みが混じるもの、堅くて生臭いものもあり、見極めの難しい魚とされる。特にゴリガツオ(大根ガツオ、石ガツオ)と呼ばれるものが混ざり、肉の身が白っぽく、ザクザクとして食感が悪く、味は渋く、独特の臭みがある。丸の状態で見分けることは難しいとされ、熟練の魚屋であっても、最終的には切ってみないとわからないとされる。原因は病気とされるが、明確には解明されていない。

市場での評価

2月に入ると種子島・屋久島近辺に北上してきたカツオが市場に運ばれてくるが、脂身に乏しい。3月に入るとカツオが大量に入り始め、沿岸で捕れたものは、いわゆる「初ガツオ」として高値で取引される。冷凍品も多く、こちらは廉価で取引される。

漁獲法

主に一本釣りや巻き網など。南洋での遠洋漁業は一年を通して行われ、巻き網と呼ばれる漁法で漁獲されたもので、冷凍されて日本まで運ばれて水揚げされる。国内では列島沿岸を回遊する時期によって漁場が移動し、各漁船は漁の状況や前日の取引価格を勘案しながら、水揚げ港を選んで入港する。主な水揚げ港は、鹿児島県枕崎港・山川港、高知県土佐清水港、和歌山県那智勝浦港、静岡県御前崎港・焼津港・沼津港、千葉県勝浦港・銚子港、茨城県那珂湊港、宮城県気仙沼港などである。

・一本釣り漁
その豪快な漁法のため、鰹漁の代名詞のようになっているが、釣り上げた後高い位置から甲板に落とされるために、打ち身のできる鰹が混じることになり、最近では最高級品としての評価を落としている。

・引き縄漁
数十本の針に餌を付けて流し、鰹がかかると引き上げる漁法で、鰹の漁法としては一番魚体を傷めず、鮮度の保持も十分で、理想的だが漁獲量に限度がある。

・定置網(大謀網)漁
鰹の回遊方向に網を張っておき、一度入ると出られなくなる。この漁法も理想的だが大量に漁獲することはできない。

・巻き網漁
二捜引きの網漁で、大量の漁獲には最適の漁法だが、体表の荒れと鮮度保持が雑になることがある。

初鰹の漁獲量はそれほど多くはない。毎年高値がつくため、鮮度保持が重要となり、大掛かりな装置を要する巻き網漁は行わない。一本釣り、引き縄漁が主体である。逆に戻り鰹の世界では大量の漁獲量を得るために、巻き網漁が主役となる。

沖釣り、ルアーフィッシング、フライフィッシング、トローリングによる釣りが人気。疑似餌をコマセ籠の下に結び手で誘うカッタクリ、竿とリールを使い、アミエビやオキアミをコマセにするビシ釣りなど。三浦半島の長井や佐島では、一般客も一本釣りができる。活きたカタクチイワシを付け餌にして、漁業用カツオ竿で釣り上げる。カジキを狙うトローリングでは、餌としてカツオを釣ることも多い。

その他まつわる知識

季語は夏。多くの俳句にも読まれている。

「目に青葉山ほととぎす初かつお」山口素堂
「鎌倉を生て出けむ初鰹」芭蕉

戦国時代には武士の縁起かつぎとして、カツオ節を「勝男武士」と漢字をあてることがあった。「武教全書詳解」では、戦国時代にカツオ節を戦陣に携帯したと記される。「是を噛ば性気を助け気分を増し、飢を凌ぐ」とあり、兵糧として使われていた。「北条五代記」によれば、天文6年(1537年)夏、北条早雲の子、氏綱が小田原沖でカツオ釣りを見物しているところに、一匹のカツオが船に飛び込んできたと伝えられる。その後、その船で戦いに勝利を収めたことから、以降出陣の祝宴に欠かさず供したといわれる。織田信長がカツオを取り寄せて家臣に振る舞ったという記録がある。